『やりたいことは、今すぐにやれ』

Sunday, June 21, 2015

両親のこと。

つくづく、自由に生きてきたなぁと思う。

考えてみれば、両親は私のやることに、反対したことはなかった。
幼いころ部活動を決めるとき、止めるとき、友だちと遊ぶとき、高校や大学に進学するとき、就職するとき、「こうするからね」と報告はするが、……母の「いいんじゃない?」で終了。
父はなにも言わなかったが、私が約束を守らなかったり、人に迷惑をかけたりしたときだけは、強く叱った。

大人になって、たくさん転職をして、たくさん引っ越しをして、いくらかの恋愛をした。
どんなことを報告しても、「いいんじゃない? あなたが決めたことなら賛成」で終わり。
うまくいかなくても、「あ、そう」で終わり。
よかったとも、悪かったとも、言わなかった。
だからこそ、ちゃんと決めなきゃ自分が痛い思いをする、と思った。

母は重心(重症心身障がい児)病棟の看護師をしていて、よく、
「子どもは、生きていてくれればいい」
と言っていた。
親よりも先に、子どもたちが亡くなっていく姿を見ていてそう思ったらしい。

ちょっとした弾みで、私が不登校になって高校を中退しかけたときも、
「いいんじゃない? 高校にいくだけが道じゃないから」
と言った。

「えーーー!? 私の人生、ここで挫折するなんて、冗談じゃない!」
と、私はそれから毎日休まず登校するようになった。
自分でなんとかしなきゃと思ったからだ。

そんな親子関係は、あたりまえのように思っていたが、子どもの生き方に口出ししない親って、じつは普通ではないのかもしれない。
私だったら、あーあーあーと、見てられなくて、つい口出してしまうだろう。

おかげで自立は早かった。

いま思えば、つくづく不思議な両親、不思議な夫婦関係、不思議な親子関係だが、私はそんな両親でよかったのかも……。
朝起きた瞬間、そう感謝して、母に電話して伝えた。

「そうお? ま、よかったじゃない。あなたの本、目が悪くて読めないけれど、褒めている人がいるわよ」

ちょっと涙が出た。
こんな間接的な褒め方も相変わらず。
親子関係にいくらか距離感があったから、もしかしたら、「いつか認めてね」と、こころのどこかで思い続けていたのかもしれない。

今日は父の日。
夫婦仲のよかった父が、最期に残した言葉は、「お母さんのことをお願い」だった。
父の日に、母への感謝を伝えることになったのは、もしかしたら、父がいちばん望んでいて、仕向けたことだったのかもしれないと思う。

Saturday, June 20, 2015

イスラエルの旅5~世界遺産マサダ(2)


マサダのつづき。
ユダヤ民族によって築かれた要塞、マサダが約2000年ほど前に滅ぼされたのは、先の「イスラエルの旅4~世界遺産マサダ(1)」で書いたとおりだが、知れば知るほど、とんでもなく豪華な宮殿なのだ。

【写真・上】
いちばん眺めのいい、先の尖ったあたりは「北の宮殿」といわれるヘロデ王の私邸。
上のテラスは、ヘロデ王が使っていて、下の突き出たテラスは、客人をもてなすための客室があったという。どんな客人が、ここに来たんだろう。
テラスに何人かいる人の姿を見ると、壮大なスケールがわかるかしら…・・。

【写真・右】
当時の宮殿の模型。左の尖った部分がヘロデ王の部屋。その下の一段低くなっている丸い部分が客室。


【写真・左】
大浴場跡。小さい柱の上に板を置いて、火を焚き、蒸気で部屋全体を暖めて、人びとは汗を流すという、ローマ式サウナ浴場。
かなり大きな部屋だったから、大人数で入る憩いの場だったのかもしれない……。


【写真・右】
2000年前の柱や壁画、タイルが瑞々しく残っているのは不思議なほど。


ローマ軍が突入したとき、食料庫には、10年分の食料や酒などが貯蔵されていた(集団自決した際に、食料はすべて燃やしてあったとか)。
また、雨季に発生する鉄砲水を利用して、地下には4万トンの水が蓄えられていた。
おそるべし土木技術!

【写真・下】
宮殿の西側は、足がすくむほどの絶壁。
ローマ軍が足場をつくって上ってくるのに3年近くかかったというのも、うなづける……。
地表に丸や四角の型がついている場所が、ローマ軍が陣をとった場所。


【写真・左】
ロープウェイであった女の子たち。
兵役中は私服のときも、銃を肌身離さず自分で管理する責任があるという。

イスラエルは、18歳になると、男子3年、女子20か月の兵役がある。
兵役では女性も男性同様、義務であるが、社会で働く女性が、出産や育児をしやすい法律や制度はかなり充実している。
子だくさんで、仕事もバリバリしている女性、シングルのまま子どもを何人も産む女性など、いろいろ。
子どもを産むことで、女性が社会的不利益を被らない仕組みづくりができている。
ある意味、男女平等……。

ちなみに、兵役が終わったあと、ほとんどの若者は働きながら世界を旅し、帰国後、アルバイトでお金を貯めて大学に入学、卒業、就職……というパターン。
そういえば、鹿児島でよくイスラエル人のアクセサリー売りを見たっけ……と思い出した。
海外の親戚を頼っていき、働かせてもらったり、アルバイトしながら語学留学したりするパターンも。

大学に入学するのは、20代後半から30代、就職は30代になってからというのも珍しくない。
ある程度、社会経験を積んでから、大学進学、就職というのは、失敗が少なく、意外に効率的なのかもしれない。
兵役の議論はさておき、若者たちは18歳から家を出ているからか、かなり自立しているように見えた。

「じゃあ、30歳過ぎても、実家にいる人はいないの?」
今回のガイド役で、娘が兵役中の日本人女性Eさんに聞くと、
「それは、恥かしいことと思われるかもしれません(自立していなくて)」
と返された。

現在、マサダでは、イスラエル軍の入隊式が行われ、若い兵士たちが、「マサダの悲劇は繰り返さない! この国は自分たちの手で守る!」と誓う。

*つぎは、死海についてのレポートです*

Friday, June 19, 2015

イスラエルの旅4~世界遺産マサダ(1)

いつまでもいたいと思うエルサレムの街に「いつか戻ってくる」と別れを告げて、死海地方へ向かう。
まわりはひたすら荒野。ときどき、ベドウィン族のテントに出合う。

【写真・左】
このエルサレムから死海、ヨルダンに伸びている道は、日本がつくってくれたと、ドライバーさんが言っていたけれど、ほんとう?

【写真・右】
途中、「海面0」という場所があった。ここからずっと下り坂。地球でもっとも低い場所、標高マイナス400メートルほどの低地にある死海まで、道は続く。


【写真・上】
エルサレムから約40分ほどで、世界遺産マサダが見えてきた。写真ではちいさく見えるが、自然の造形を利用して造った巨大な要塞。ここは紀元前100年ごろ造られ、ヘロデ王の時代に増強されて、豪華な宮殿となったという。

マサダは、ユダヤ人にとって特別な場所だ。
70年、ローマ軍がエルサレムを攻撃して陥落。このユダヤ戦争から逃れた人びと967人が籠城したのが、このマサダだった。ローマ軍約1万人ほどは3年に渡り、マサダを包囲して、土を運んで城壁を埋め、ついに攻め込んだ。
しかし、そこには、2人の女性と5人の子どもを除き、ローマ軍突入の前夜に集団自決した人びとの姿があった。

ユダヤ戦争から約2000年、ユダヤ人は世界各地に散らばっていくこととなった。

【写真・上】
マサダの頂上までは、ロープウェイで行けるが、元気のある人は、ぐにゃぐにゃに曲がりくねった「蛇の道」で(1時間以上かかります)。
荒野の中央にちいさく見えるのが、現代にできた約2万人を収容する野外劇場。その後ろが死海。
スケールが大きすぎて、言葉になりません……。

マサダの話はもう1回、続きます。

Tuesday, June 16, 2015

イスラエルの旅3~エルサレム、アラブの市場



アラブ人の市場がある旧市街から、LRTに乗って新市街の方向に進み、降り立ったのは、ユダヤ人のマハネー・イェフダー市場。

野菜、肉、オリーブ、チーズ、お菓子……と、食料を中心にした明るく、解放感のあるマーケットだ。

ユダヤ教では、食べ物に関する決まりごとがある。
肉類と乳製品(チーズ、牛乳など)を一緒に食べてはいけない。
肉類で食べていいのは、ひづめが分かれていて反芻するもの。魚介類では、ヒレと鱗があるもの。
……といっても、だんだん自由な風潮になってきているらしい。

【写真・左】エルサレムの中心を走る路面電車LRT。チケットを販売機で購入するとき、少しばかり手間どった。


【写真・右】なぜか横断歩道を渡る山羊の群れ。行儀よくならんで、堂々と行進。巧みな山羊使いがいるようだ。


【写真・上】マーケットには、見たことのない野菜が並んでいるから面白い!この玉ねぎのような、カブのような野菜はなに!?

【写真・右】スイカは小ぶりだが、甘くて瑞々しい! ちなみに切り方は、日本と同じ三角型だった。







【写真・左】とっても甘い砂糖菓子。ちいさく切り分けてグラム売りしている。指先ほどの大きさに切って少しずつ食べる。
ほとんどの場所で試食はOK。スーパーマーケットでも、くるみやオリーブオイルなど、自由に試食できたのは驚き。

【写真・右】カットフルーツで、ほっと一息。
バイナップル、ブドウ、メロン、スイカ、パパイヤ、イチゴ、ザクロ、イチジク・・…
すべて濃厚な味だった。

【写真・上】市場で歌ったり踊ったりしていた少女たち。いい笑顔!

Friday, June 12, 2015

イスラエルの旅2~エルサレム、アラブの市場


旅をするとき、ほぼ欠かさずに行くのが市場。
なぜなら、そこにから、人びとの生活や文化が見えてくるから。

エルサレムには、アラブ人とユダヤ人、二つの市場があり、それぞれの空気がある。

その二つの市場を写真でご紹介。
まずは、アラブの市場から。

【写真・上】旧市街をぐるりと囲む城壁には8つの門がある。いちばん美しいといわれるダマスカス門は、門の上部が繊細なつくり。
ここを入ると、アラブ人の店が軒を連ねる市場がある。


【写真・上】奥のほうはアーケードになっていて土産物中心だが、外側は一般のアラブ人が買い物に来る食料品の露店が多い。

【写真・左】産地直送の野菜や果物がいっぱい。砂漠が多く、雨の少ない気候というのに、食料自給率は、なんと90%以上!
しかも、ほとんどが有機栽培で、その瑞々しさと美味しさにびっくり。

【写真・右】アラブ系の衣装は、色がきれい。
私もここでレース手編みのカラフルなポンチョを購入。3000円ほどで、いい買い物だったと大満足。

【写真・左】下着もカラフル。いつもは黒い服で覆われているアラブの女性になぜか親近感!?




【写真・左】旧市街の入り口、ヤッフォ門の近くあった、アルメリアの伝統的な陶器を売っているお店「VICS ART STUDIO 77」。
たしかに、スペインっぽいような……。
絵付けの名人、VICSさんは、似顔絵も陶器に描いてくれる。
世界中の文化が集まっているから、イスラエルはおもしろい!



【写真・下】三種類のスパイスが積み上げられて、まるでピラミッド!
ザアタルという緑のふりかけは、ハーブとゴマ、塩などがミックスされていて、パン、サラダなどなんでも合う万能スパイス。イスラエルのあちこちで食して気に入ったので買って帰り、チーズトーストにかけて焼いたところ、感動の美味しさだった。うー、クセになりそう……。

明日は、ユダヤ人の台所、イェフダー市場をご紹介します。

Wednesday, June 10, 2015

イスラエルの旅1~エルサレム・シンドローム


6泊8日でイスラエルに行ってきた。
エルサレムに行くと、そこが恋しくなり、また行きたくなることを「エルサレム・シンドローム」という。

いま、まさにそんな気分。
エルサレムだけでなく、マサダ、死海、ケネヴ砂漠、テルアビブ……すべてが恋しい。
初めてなのに、不思議と懐かしい気持ちになる場所だった。

旅を振り返るように、何日かに分けて、少しだけ写真でご紹介(そのうち、雑誌連載、本に書く予定)。

まずは、エルサレムから。
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地。世界中から、さまざまな宗教の人たちが集まり、共存している街でもある。世界の人びとの祈りが重なり合う場所。これらの宗教を信仰していなくとも、一度、訪ねると、考え方や生き方も変わってくるんじゃないだろうか。いや、もしかしたら、世界中のすべての人が、ここにはなにかの関わりをもっているのかもしれない……。

【写真・上】エルサレムの市場の一角。アラブ人の市場、ユダヤ人の市場があり、こちらはユダヤ人の市場。

【写真・左】嘆きの壁を女性側から見た図。かつてここには、ユダヤ教の神殿が建っていたが、2000年前、ローマ軍によって滅ぼされ、一部だけが残った。世界に散らばったユダヤ人の「ここに帰ってきたい」という願いの場所。壁に生えた草が壁を夜露で濡らし、それがユダヤ人の涙を象徴していることから「嘆きの壁」といわれるようになったとか。


【写真・上】1948年のイスラエル建国後もヨルダン管理下で、ユダヤ人の約2000年の悲願が達成して、ここに来られるようになったのは、1967年の6日間戦争後のこと。経典を読んでいる人、泣いている人、なにかを唱えている人……と、いろいろ。

【写真・右】「最後の晩餐」が開かれた部屋。
ダ・ヴィンチの絵では、椅子に座っているが、実際は、床に座った形で、最後の晩餐は開かれ、イエス・キリストが弟子たちに話をし、弟子たちの足を洗ったという。

その後、十字軍によってゴシック様式に建て替えられ、オスマントルコの時代は、イスラムの寺院としても使われた。
ちなみに、ユダヤ教では神は絶対的な存在で、イエスの存在を認めていない。


【写真・上】十字架から降ろされたイエスが香油を塗ったとされる場所。
長方形の石をなでたり、額を当てたりする人たちがいた。